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vol.1:いつも時代の最先端。

 

創業わずか4年で最先端技術に関わる

創業わずか4年で最先端技術に関わる
 
創業わずか4年で最先端技術をサポート。
   国産のテレビが、1952年(昭和27年)に松下電器から発売された。大卒初任給が6,000~8,000円という時代、17インチのブラウン管を備えたこの白黒テレビの価格は29万円。庶民には手の届かない高嶺の花だった。
そして最新技術を駆使して開発された当時の”最先端機器”である白黒テレビの開発に関わっていたのが、モーターの修理販売からスタートしてからわずか4年目の共進電機だった。
   当時、松下はオランダのフィリップス社と技術提携し松下電子工業を設立。白黒ブラウン管の生産を始めるが、まだ1日に2,3台作るのがやっとという状態であった。共進電機創業者の小島はその将来性に着目。松下電子工業にアプローチしてその誠実な人柄が信頼され、取引開始に成功する。小島がまず依頼されたのがブラウン管の品質を検査する装置であった。お客様からの指導をいただきながらフィリップス社の難解な図面と格闘し、試行錯誤を繰り返し、1958年(昭和33年)、遂にブラウン管特性検査台の開発に成功したのだ。
 

他にはない技術・ノウハウを駆使して

他にはない技術・ノウハウを駆使して
 
   電子銃から発射された電子が蛍光物質を塗布した表示面に衝突することで光が放出され、高周波でスキャニングすることで画像を作る。これがブラウン管の原理。電子銃から出る電子を加速するために数万ボルトの高電圧がかけられる。ブラウン管の検査は、検査機器に大きな影響やダメージを与えるこの高電圧や高周波との戦いになる。
 電子銃が3本になるカラーブラウン管ならなおさらだ。その上、ブラウン管が製造される生産ラインでは、製造機器の影響を受けてさらに厳しい環境になっている。研究室では正常に機能していても、現場の工場でトラブルが起こる危険性は高いのだ。
 共進電機では、白黒テレビの時代からカラーテレビの時代に至るまで、40年間にわたって、松下電器(現パナソニック)のブラウン管の検査ラインの全てを担っている。それを可能にしたのは、高電圧、高周波の環境下での豊富なノウハウの蓄積があったから。そして、国内はもとより、海外の厳しい環境下でさえも、トラブルに対する速やかで的確な対応を積み重ねてきたからに他ならない。
 

トラブルはステップアップのチャンス

トラブルはステップアップのチャンス
 
トラブルはステップアップのチャンス。
   2007年度の押し詰まった12月のある日のこと。松下電器の研究所から一本の電話が入った。松下では、翌年1月に米国ラスベガスで開催されるエレクトロニクスショーで、世界最大の150インチのプラズマテレビの展示を予定していた。しかし、その大きさが装置設定の範囲を超えていて「うまくいかない」というのだ。
早速、一人の技術者が指名を受けて現場へ急いだ。当日は彼も楽しみにしていた年末恒例の「望年会」の日。出席は叶わなかったが、臨機応変で速やかな対応に、研究所の所長からお礼の言葉をいただくことができた。
 ブラウン管で培われた共進電機の技術は、薄型テレビの基幹部品であるプラズマディスプレーパネルの製造工程でも活かされ、世界でオンリーワンの特殊装置を提供している。こうした先端技術を担うには高い技術レベルが求められる。しかしそれと同時に、柔軟な対応力も欠かすことができない。トラブルの下には技術の種があり、問題を解決することは、お客様との信頼関係の構築、さらには技術者の成長、企業の伸長にもつながるのだ。
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